FrontPage
御怒りを引き起こした? (パラピクラスモス παραπικρασμός)
荒野で
イスラエルがエジプトから救い出されて荒野にいたとき、神は彼らに多くの優しい言葉をかけました。
いっけん神は厳しい律法を与えたかに見えますが、実は神はかわいい子供に対するように彼らに臨んでいました。
しかし、イスラエルはやんちゃなわきまえのない子供たちでした。
ですから神は彼らの心が固いと言いいました。
ヘブル人の手紙第3章8節はそのことをこう言っています。
【回復訳】
荒野で彼を試みた日に、御怒りを引き起こした時のように、心をかたくなにしてはならない。
【口語訳】
荒野における試錬の日に、神にそむいた時のように、あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない。
【新改訳改訂3】
荒野での試みの日に御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。
【新共同訳】
荒れ野で試練を受けたころ、神に反抗したときのように、心をかたくなにしてはならない。
パラピクラスモス
「御怒りを引き起こした」「神にそむいた」「神に反抗した」と訳されたもとのギリシャ語はパラピクラスモスです。
ピクロスという言葉が基本にあって、これは「苦い」を意味します。
パラは「傍ら」という意味の前置詞で、全体として「苦みを伴う」、「苦々しい」といった意味になるでしょうか。
毎日毎日一所懸命に食事を作って子供に食べさせようとしても、子供が偏食でよく食べず、たいして栄養のないものを欲しがる状態だとそれは母親にとって苦いことです。
神の心
このギリシャ語の言葉から神がご自分の子供たちである民にとって養う母の態度で臨んでいることが感じ取れます。
律法を守らないことで怒っている神というより、栄養豊かな心のこもった食事を喜んで食べない子供のことで手を焼いている神というイメージがパラピクラスモスの言葉から受け取れます。
神にはご自分の民・子供たちに律法を守らせる意図はなく、律法を守れないことを自覚させ、神に頼り、神の養いにあずかるようにと願っていることを思います。
同様に (パラプレーシオース παραπλησίως )
聖書をギリシャ語で読むと翻訳では気づかなかった味わいに出会うことがよくあります。
今日の箇所もその一つ。
ヘブル人への手紙 2:14 回復訳
こういうわけで子供たちが血と肉にあずかっているので、同様に彼ご自身の同じものにあずかられたのです。それは彼が死を通して、死の権能を持つ者、すなわち悪魔を滅ぼすためであり
「同様に」とさらっと訳されていますが、普通に「同様に」はギリシャ語では「プレーシオース」です。
しかしここでは「パラ」がついています。パラは「傍らに」の意味です。
深読み翻訳すると「(ぴったり寄り沿って)ほとんど同じに」ということになります。
なんと、この言葉は新約聖書中ここだけに使われています。
主はわたしたちとほとんど同じに人と成られました。
どこが違うかというと、彼には罪がない点です(ヘブル4:15)。
主はわたしたちとほとんど同じです。
なんという憐れみとへりくだりに満ちた主の人性でしょう!
「パラプレーシオース」! 味わいます。
コメント

